8月19日の京都ひぐらし日記

皆様へ

 

 北京の宋先生との創発が決まった。

 澤田廉路氏の絵を《「地方創生」から「地域経営」へ》の中国語翻訳本の表紙にと連絡を受けました。澤田さんは、私の拙著《定年後、京都で始めた第二の人生》岩波書店の表紙絵を描き、翻訳本の表紙絵を描くことがほぼ決まりました。皆様に報告したく=日暮し京日記=をお届けします。

 今年、6月24日から27日の四日間、北京外国語大学日本学研究センターの宋金文先生をお訪ねして、2009年から北京の果樹園の杜造りの資金、年5万円を送金してきましたが、2016年が10年目の最後ということで宋先生に直接手交するべく訪問しました。その際に澤田さんは添付の北京紀行文に4枚の絵を描き、再訪問して翻訳本の表紙絵など、描いて来ると言っています。表紙絵と合わせて何枚かの絵ができます。

 

 私がどうしてこのように創発に挑戦しているか、これまで私に対する叱咤激励の言葉に対する挑戦でもあります。

 1989年9月、スイスの山岳地の調査の帰り道に飛行機の中で、同行いただいたある財団の主任研究員に話しました。私は智頭町という小さな町だけれども、世界に誇れる、日本の地域に提案できる地域づくりを行っていきたい。と話しました。それを聞いたその研究員さんは『寺谷さんは小さなことを大げさに言う』と切り返しました。なにくそと思ったので成田までの11時間、一言も語りませんでした。

 また、小学校の元教師が『寺谷が10億円持っていたらまちづくりなど、みんなが言う事を聞く』と言われました。「それは差別発言だ」と言ったことがあります。

 そして、京都に移住してある方が、『寺谷がやっていることは智頭の限られた地域の事であり、京都のマンションという小さな世界のことをやっているに過ぎない』と、言われました。

 それから、昨年、《地域経営》の本を翻訳して中国に届けたいと言いましたら『国家体制が異なるので四面会議システムなど通用しない』と一笑に付されました。ところが、宋先生に相談したら、『いずれ中国も各地の活性化は大切で、考え方や思考のデザインや四面会議システムが必要となる、是非とも翻訳したい』とお話しをいただき、今年度中に日本学研究センターの事業として出版されることになりました。やっぱり誠実に向き合う信義から進展しました。

  お前がやっていることは小さい事と言われますが、どうして物事の理が分らないのだろうかと不思議でなりません。雨の一滴も、集まると滝のようになり、大河の濁流を作ります。それと同様に小さな身の回りのことに価値を見出せば、必ず成就するのです。小さい大きいは、たまたま捉える時点のことであって、小さなことが集まって大きくなるのです。小さい事を笑う者はおそらく人生が大成しないでしょう。

 伝教大師最澄は「一隅を照らすは国宝なり」と諭されました。まさに混迷の社会です。毎日殺人事件が起こります。命の大切さ、人の大切さや尊さを小さい、ささやかだと思っているから事件を起こるのです。身近な家族、隣近所、地域社会、たまたま乗り合わせた隣人を大切にして一隅に生きることが大事と心得れば違ってきます。小さな事に物事の真実と真理があるのです。小ささを笑う者は身近の信頼を失うことになります。

 如何に高学歴であろうと、現職中高いポジョンにあっても一人の人間です。

一円を笑う者は一円に泣くことになります。物事の小ささを笑う者は事の大事を理解していないことで、それは不幸の始まりです。私に小さな事と嘲笑い投げられ侮辱と屈辱の言葉はそっくりお返ししたい。智頭での実証実験は国の政策となり、中国に提案できます。「地域経営」の概念も、「思考のデザイン」も、「四面会議システム」も地域を越え、国を超えました。これが私の“論より証拠”の恩返しで、27年掛けて見事に勝ち取りました。

 次なる「創発」は、澤田さんが描きあげた絵を元に「絵葉書セット」を作り、クラウドファンテングで資金を調達し、北京外国語大学の売店で「本」と「絵葉書セット」を販売して、果樹園植栽のための活動資金を捻出するという企画です。さあ、どこまで実現できるか楽しみです。

 澤田さんの一枚の表紙絵は日中友好の証であり、その絵葉書セットは北京の果樹を育ててきっと多くの実をつけるでしょう。一枚の絵を描く、小さな一歩は国宝の一歩です。北京での新たな展開に期待しています。

2016年残暑

 寺谷篤志